明智光秀が短い天下だった理由を考えるより、徳川の天下が長かった理由を考える方が有意義ならば、なんで生麦生米生卵が言い難いのかを考えるより、生麦生米生卵生麦生米生卵生麦生米生卵生麦生米生卵生麦生米生卵生麦生米生卵って言ってみろ。
楽観主義者は大凶をおみくじでひいても、「つまり今日を乗り切れば明日は今日以上だ!」と思うし、悲観主義者は大吉をひいても「明日は今日以下だ!」と思うだろう。そうすると、おみくじをひく意味がないのか? そんなことはない!だって、楽しいじゃないか。
たまに、ルールを守っている自分が妙に爽やかに思える時ってあるよなぁ。
猪苗代りんご尺八琵琶法師
最近、自分のページに投票することとかに夢中!例えば、生け贄ランキング(GAC Page\Osakanizer)。どんどん投票してね。さらに、例えば、ニラレバ、皆さんがWebGateへ行くとWebGate内での僕のページのポイントが上がり、カテゴリーの上の方に僕のページが行きます。わぁい。
深夜のいいところは、交響曲のような長〜い曲を聴いているときに邪魔が入る可能性が少ないことだね
この間ねぇ、階段のぼっていたら、そこに犬がいたんだ。びっくりしたなぁ。
生卵の上を歩くのは怖いような気がするけど、よく考えてみるとさ、卵が割れるってことを知らなければ、別になんてことはないし、割れたからといって、どうなるってもんでもないんだ。だけど怖いんだね。なんでだろう・・・。こんなこと考えてたら、夜も寝られない。だから考えるのをやめて、「生卵とゴマと頭、生卵とゴマと頭、生卵とゴマと頭、生卵とゴマと頭、生卵とゴマと頭」って言ってみた。
マーラーの交響曲第五番にタイトルをつけるとしたら、『永遠』、『宇宙』、『荘厳』、『偉大』等などいろいろ考えられるなぁ、ん? 六番『悲劇的』にならって、『刺激的』?
「果たして人間とは幸せなのだろうか。」とか、「この世に神はいるのだろうか。」とか、そういうこと考えないですか。たまに考えてしまうのだけど、仮に、神がいるとしたら、どうして、不幸とか苦痛とかそういう嫌なものを存在させるようにしたのだろう・・・ とかって、考えたりしちゃうのですよ。はい。それは「幸せがあるからだ。」とか、「その存在によって幸せをより強く感じられるからだ。」とか、いろいろ解釈できるけど、答えはよくわからないのです。そこで、ずうずうしいことかもしれないのだけど、自分が神様になることを考えちゃおうと思うのです。はたして、不幸とか苦しみとかがない世界ってツクれるのかなぁ。その世界では万有引力の法則とか、酸素と水素から水ができるとか、九九とか成り立つというか存在するのでしょうか。そんなこと考えるより、いかにもイカ、とか、偉いエラ、とか、懐かしい夏、とか、かわいい皮、とか、みずみずしい水らしい、とか、考えている方が幸せだね。これを英訳するのは難しいなぁ。
「生きること」って何だろう・・・ これを真面目に考えると、ほんと昼も寝られなくなりますねぇ。だからこういうときは難しいことは考えない。できるだけシンプルに、間違ってもいいじゃないか、的発想をすると楽なんだよね。で、どこが難しいかというと、ことなんだよね。だってことって英語圏の楽器ではないでしょ。だからねぇ、めんどくさいことはなしにして、シンプルにliving Kotoでいいんじゃないかな、などと思うわけです。
「自由とは何か」なんていう議論がしばしばありますねぇ。でもよくわからないのですよ。だから私の中での自由というのは、シュウマイってなんておいしいのだろうって思ったり、いくらシュマイケルでも毎日シュウマイばかり食べることはできないだろうって想像したり、シューマンはシュウマイを食べながら作曲したのかなぁなどと考えたりすること、そういう頭の中の話だけでやめておくのです。そこから先を考えるのも自由なのだけど、私にはわからないのです。あ、(知らない人のために一応、)シュマイケルはデンマークのゴールキーパーです。
とってもとっても秘密のお願いがあるのですが、なんじは秘密をカタク守ると誓いますか?
誓える人は、次の行をドラッグして、メールをください。
今、なんじか教えてください。
私は思うのであります。地球はいつうまれたのか。いつ宇宙はうまれたのか。うーむ。うーむ。こういう時は、宇宙を作ってしまえばいいのであります。ならば、どんな宇宙を作るか考えてみましょう。うーむ、うーむ。例えば、パソコンの中で宇宙を作り、実行します。うーむ、感動的ぃ。どんなことになるでしょうか。
駅名などを楽器名に置き換えることは楽しいのであります。例えばニラレバ、新橋はシンバル。虎ノ門はドラかトランペット、あるいはトロンボーン。そう考えると、銀座線はとっても面白いとあらためて思うのであります。
「世界の中心で愛をさけぶ」と「いま、会いにゆきます」、どちらもいい本、いい映画で好きなのであります。そこで共通点を考えてみます。まず本について。タイトルが「。」のない文。続いて映画について。高校時代と現在をいったりきたりしています。高校時代担当の俳優と現在担当の俳優、まぁ当たり前ですが、とっても似ています。病院のベッドで天井をみる様子。強弱に差はあるものの雨が重要です。祭りが微妙な重要度を発揮しています。質問に対して無言でとびついてこたえる場面があります。途中で交通事故があり、物を拾おうとするシーンはさすがともに東宝という感じです。。。こんなもんですかね。似ているなぁ、と思ったけど、そんなに似ている部分はないような気がするのであります。
音楽と映画について考えるのであります。ゴジラを音楽にたとえるならマーラーの「巨人」のような迫力系だと思うのであります。「世界の中心で愛をさけぶ」や「いま、会いにゆきます」、「7月7日、晴れ」は、モーツァルトの音楽なのであります。宮崎アニメはヨハン・シュトラウスのワルツだと思うのであります。どれも、ビデオやDVD、CDよりも、映画館、生のコンサートの方がいいと思うのであります。しかし、音楽では迫力系が圧倒的に好きなのに、映画では迫力系だけではなくその他も好きなのであります。
ベストアルバムというのがあるのですが、しかしそれが真のベストではなく、セミベスト的な場合が多いのであります。これは商業的な理由があると思うのでありますが、いったいどのように計算して結論を出しているのか、とても気になるのであります。
オーケストラをサッカーのポジションで表現すると、
GK チューバ、木低、コントラバス(低音がガッチリしていないとどうしょうもないのであります。)
右SB パーカッション1(ダダダダ的に目立つのであります)
DF フルート、オーボエ
DF クラリネット(目立たない場面もあるけど重要なことが多いのであります)
左SB パーカッション2
ボランチ チェロ
ボランチ トロンボーン(支えるのであります)
MF ヴァイオリン、ヴィオラ
MF ティンパニ(曲の主導権を握っていることが多いのであります)
FW ホルン
FW トランペット(決めるのであります)
という感じになると思うのであります。しかし、日本のオーケストラは、マーラーなどの難曲になると、ホルン、トランペット、木管あたりが弱い場合があるのであります(トランペットを吹いていたのでどうしても金管を気にしてしまうという背景があります。もちろん難曲なのでしょうがない面もあるとも思います)。これって決定力不足の日本サッカーと似ている気がするのであります。