0歳の誕生日 | 新潟県に生まれた。 |
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3歳くらいまで | 東京都青梅市やアメリカに住んでいたらしいが、記憶にございません。 |
3歳くらいからの住所 | 茨城県日立市大久保町 |
幼稚園 | キリスト教聖児幼稚園 |
小1〜小2 | 日立市立大久保小学校 |
小3からの住所 | 日立市東町 |
小3〜小6 | 日立市立宮田小学校(通称宮小) |
実は | 「日立市立宮田小六ー一大山崇」は全文字がほとんど左右対称 |
中学校 | 日立市立駒王中学校(通称駒中) |
高校 | 茨城県立日立第一高等学校(通称日立一、日立一高) |
中学と高校での部活 | 吹奏楽部(トランペット) |
従って、 | ふるさとは日立だと思っている |
浪人時代の下宿 | 東京都江戸川区北小岩 |
予備校 | 両国予備校 |
大学 | 東京理科大学理学部応用数学科 |
大学1年〜2年の住所 | 東京都練馬区旭町 |
大学3年から修士課程の住所 現在の帰省先 | 足立区加平 |
大学4年での所属研究室 | 森田研究室 |
大学院修士課程 | 東京理科大学大学院理工学研究科情報科学専攻 |
修士課程での研究室 | 宮沢研究室 |
(中退(単位取得退学) したけど)博士課程 | 筑波大学大学院博士課程社会工学研究科都市・環境システム専攻 |
博士課程時研究室 | 鈴木勉研究室 |
博士課程時住所 | 茨城県つくば市天久保三丁目 |
現在 | 会社員 |
3歳の頃 | ヘルニアになり軽い手術をしたらしいが記憶にない |
7歳の頃から11歳の頃 |
7歳の誕生日、スイミングスクールの帰りのバスで頭痛に襲われる。翌日、日立市内のQ病院に行く。原因不明とのことで、X病院に行く。ヘン頭痛と診断され入院する。病状は悪化する。頭痛はひどくなる。脳圧は正常な人の百倍を超えていたという。そのせいで次第に視力が低下し、さらに、両目をあけていると、物が二重に見えるようになる。そして最後には左目の視力がほとんどなくなる。医者はヘン頭痛と言い張り、転院してもムダだと主張していたらしい。それでも悪化するばかりだったので、1ヶ月後に本郷の東大病院に行く。脳圧コウシン症(ギイノウショウ)と診断され、即手術。頭痛がおさまる。 この病気で頭から腹部にシャントを通したのだが、これがよく詰まる。水を通す管のようなのだが、どうやら物が詰まると水が流れなくなり頭痛になるみたいで、詰まる度に再手術が行われる。早い時には手術の一週間後に再手術ということもあり、二年間で約10回の手術を受ける。 再手術が繰り返されるので頭からのシャント手術ではなく腹部から背中・脊髄までのシャント手術に方法が変更される。この方法も最初はうまくいかず、5、6回繰り返される。そして、ある手術を最後に再発しなくなる。約4年間で合計15、6回、回数を正確にカウントできないほどの手術を受ける。 頭痛はおさまったが、視力は視神経が損傷したため、もちろん回復せず。左目は0.01、右目は0.1くらいになる。色弱になり、信号はわかるものの、薄い色の違いなどがわからなくなる。 ハリ治療や自然治癒で右目は徐々に回復し、学生時代にはメガネをすれば0.7になるようになり、普通自動車仮免許をとれるようになる。 その後、パソコンの仕事をしていることもあり、視力はまた落ちる。。。 |
28歳の頃 | 十二シチョウ潰瘍になる。薬でピロリ菌をやっつける。 |
新28歳の頃 | 1回目の腸閉塞になる。1回目の原因はタケノコの食べ過ぎ。 以後、腸閉塞も繰り返される。2回目以降については正確な原因はわからず。腹部の手術経験者はなりやすいから・・・と言われる。2013年現在で4、5回入院。 |
2010年秋〜 | 2010年10月30日に経堂でゆかりん中毒になる。人はそれを会長と呼ぶが、本人は中毒患者と称する。 |